■はじめに
私は平日の昼食は、会社の社員食堂では食べない。会社の近くにある洋食と中華兼用の食堂で食べている。しかし、最近は医者からも注意され、塩分や脂肪分の摂取を減らすため、和食の食堂に切り替えて蕎麦などのあっさりした昼食にしている。
もう10年以上も同じ食堂に通っていたのだから、元の食堂の親父さんとは顔見知りである。何の断りもなく食べに行かなくなったのだから、まあ親父さんとしては面白くはなかろう。しかし、だからといって文句を言ってきたり、道ですれ違ったときに睨みつけられたり、嫌がらせをされたり……などということはない。そんな心配をしたこともない。ちらりともそんな不安は頭に浮かばない。
そう言えば、床屋も最近はディスカウント店にばかり行って、元のなじみの床屋には行っていない。
靴屋も、昔よく行っていた店には行かず、大型スーパーにばかり行っている。
しかし、だからといって近所で私の悪い評判が流れたり、私が村八分にされた、などということはない。
何を当たり前のことを言っているのだ、と思われるだろう。その通り、当たり前である。店舗を構えた店ばかりではなく、私たちは清掃業者であろうと引越し業者であろうと旅行業者であろうと、自分の判断だけで選択できるし、前回と異なる業者を選ぶことにも何のためらいもない。その業者に何の落ち度もなかろうと、いちいち許可を求める必要、理由を説明する必要すらない。前の業者が怒って嫌がらせをしてくるなどということは、暴力団が経営しているのでない限り、心配する必要はない。
顧客は、自由に業者を選択できる。業者は、選択してもらうために一生懸命原価低減に努め、価格を下げ、サービスを向上させ、社員の教育をしてお客様満足度を向上させる努力をする。 ── それが、資本主義社会の基本である、「市場競争原理」というものだ。
ところが……この市場競争原理の埒外にいる業界を、私は一つだけ知っている。それは ── マンション管理会社という業界である。
■お客に平気で嘘をつく……水道断水対策
以下、書くことは全て実際にあった真実である。しかし、これはITと経営に関する論文であって告発文ではないし、字数の制限もあって事実であっても省略する部分もある。そこで、固有名詞は全て仮名とさせて頂く。
マンションR・Cは、テレビでコマーシャルも流している大手建築会社D・Hが建てた分譲マンションである。管理会社は、D・Hの子会社であるD・Sが当然のようにD・Hより指名され、私たちマンション住民(すなわちマンション管理組合員)は、D・Sの指導・指示の元、ほとんど何の疑問も持たずにマンション管理の大部分を丸投げに任せてしまっていた。
最初に疑問が発生したのは、築7年目の2000年のことであった。一年間にマンション全体の断水が5回も発生し、しかもそのうち、原因を修復したにもかかわらず2週間後にまた断水した、ということが2回も起きたのだ。
原因は、「給水設備タンクのFMバルブというところに錆が詰まった」というものであった。
D・Sのフロントマンの説明では、
「これは外部の水道本管から多量の錆が流れ込んだものであり、水道局の責任であるから当社の責任ではない。当社は(水道本管の調査も清掃もできないから)何もできない。水道局には当社から連絡し調査をさせたが、『何の異常も無い』という回答しか返ってこない」
ということであった。
翌年2001年、理事長となった私は、この問題の解明に着手した。その時には、フロントマンの言葉を信じ、「水道局が悪いのだろう。ろくに調査もせず、役人根性で『異常無し』と言い張っているのだろう」と思い込んでいた。
さて、調査の結果、次のことが判明した。
・給水設備のFMバルブに錆が詰まった、までは正しいが、多量の錆が流れ込んだのではなく、通常多少は水道水中に存在する錆の量に過ぎないが、FMバルブ自体が古くなって耐用年数を過ぎていたため、シリンダとピストンの間に微小な錆が噛みこんだものである。
・水道水中に存在する錆(鉄分その他)の量は、基準値の十分の一以下である。
・D・Sのフロントマンは、最初の一回水道局に連絡しただけであり、その後は水道局と何のコンタクトも取っていない。「水道水中に多量の錆があるのではないか? 調査して欲しい」などという要求は、まったく出していない。
・水道局や消防署など、官公庁との連絡,交渉の類は、D・Sが責任を持って担当すると、契約書に明記してある。
・水道水中の錆が真の原因では無い、FMバルブの耐用年数が原因であることは、D・Sのフロントマンは実は知っていた。(だから、水道局と交渉しないのはその意味では当然)
・FMバルブ交換時期は、修繕工事の一環としてD・Sの立てた計画に入っていたが、その計画が甘かった。(従って計画が狂うのをD・Sは避けたかったのが、嘘をついた動機らしい)
まったく、とんでもない会社があったものだ。
私は理事会で相談した結果、
・謝罪文を書かせる。(謝罪文中では、「嘘を言って騙した」とは書かなくても良い)
・管理委託費を一か月分(約40万円)支払わない、ということによってペナルティとする。
この3項目によって一件落着とした。管理委託費を払わない、という形であるにせよ、40万円もの金を出した、ということは、それだけD・Sに大きな落ち度があったことは十分に証明された、今後うやむやにはならない、だからD・Sは今後責任を感じてしっかりやってくれるだろう……と思ったからだ。
■こんなことも行えないのか……建物外壁の定期点検
さて、2003年に、またまたこういうことが起きた。建物の外壁(ベランダ部分)の一部にヒビが入り、剥落してコンクリート小片が落下したのだ。
その調査はD・Hによって行われたものの、翌年2004年にとんでもないことが判明した。
・マンションR・Cには、建物外壁に多数のひび割れ、爆裂が発生している(それ自体は、築10年なので不思議ではない)。
・D・Sは、建物外壁の劣化点検を、10年間に1回も行っていない。(少なくとも「行った」という記録はどこにも保管されていない)
・契約書上は、2ヶ月に一回点検を行い、異常があれば管理組合に速やかに報告する義務が、D・Sにはある。
・マンション管理会社には「善良なる管理義務」というものがあり、契約書上がどうなっていようが、2,3年に一回は専門家による建物外壁点検を行うのが業界の常識である。
・水道水断水事件の頃、D・Sのフロントマンは、建物外壁のひび割れ、爆裂の件や、外壁の点検を行っていない件を知っていた。にもかかわらず、何も言わなかった。
ところが、D・Sは、
「2ヶ月に一回の定期点検は行っていた。記録は紛失したのだろう」
と主張したのである。管理人(近在から臨時雇いされた方)に尋ねると、「私は点検などしていないし、D・Sの人が行っているのを見たことも無い」と言っているにもかかわらず……。
まったく、とんでもない会社である。こんなとんでもないダメ会社の、親会社が、
「なんで……なんでD・Hなんだ?」
という疑問がわいてくるではないか。
■マンションR・Cは……養鶏場なのか?
このような異常な事実が判明した以上、住民の皆さんは怒りに燃えるであろうし、その翌年2005年のマンション管理組合理事会は、当然管理会社を別の会社に替えることを検討してもらえるはずだ、と私は期待した。
ところが……誰もそんなことを言い出さないばかりか、理事会に出した私の要望は、蹴られてしまったのだ。
なんで??? と私は疑問符が十個以上も頭の中を飛び交った。理事長が言うには、
・フロントマンが別の人に替わった。今度はもっとちゃんとした真面目な人らしい。
・D・Sの支店長が来て謝った。
・管理会社を替えるという検討を行い、もし替えた管理会社がもっと悪い管理会社であった場合には、理事会が責任を追及される。
ということなのだそうだ。特に3番目の理由は、私の理解の範囲を超えている。「管理会社を替えるという検討を行おうという議案」を定期総会に提出するだけでも(実際に具体的な管理会社を選定するのは次の期の理事会のメンバなのに)自分達に責任がかかるから嫌だと言うのである。
第一、そんなことを言うのであれば、D・Sは必ずまた何か問題を起こすであろうが、その時に「管理会社を替えようという行動を起こさなかった責任」を、理事長と理事会メンバは取ってもらえるのであろうか。
あるいは、レストランで出された料理にハエが入っていた時に、「別の店に変わると今度はゴキブリが入っているかも知れないから、黙って食べよう」というようなものである。
その後、いろいろ調べると、住民の皆さんは次のようなご意見を持っているらしいことがわかった。
・D・Hが建てたマンションなのだから、子会社が管理をするのが当然で、それが一番安心である。
・子会社以外には、D・Hは管理に必要な書類を見せないだろう。(ライバル社になってしまうのだから、当たり前だろう)
・子会社以外に管理会社を替えるなんて、聞いたことがないし、世間の常識に反している。施工会社D・Hと管理会社が喧嘩したりしたら、住民が困る。
・Dは一流企業グループであり、マンション住民の中には建築関係の仕事の人もいるかも知れない。Dグループを怒らせたら、その人は仕事がもらえなくなってしまう。
・ともかく、Dは大ブランドなんだから、私は(杉山の言葉よりDを)信用する。
なんということだろうか。それでは、私たちは一生、ダメ会社D・Sの管理を受け続けなければならないのであろうか。どんな手抜き管理をされても、高い管理委託費を払い続けなければならないのであろうか。
私はだんだん、マンションR・Cが巨大な養鶏場のように思えてきた。
決して逃げ出すことはない鶏たちが、毎月毎月、管理委託費という卵をコロンコロンと産んでくれるのである。管理会社は、ただ生かさぬよう殺さぬよう、鶏たちの世話だけしていればよいのだ。
そして鶏たちは、「仕方がないのだ。私たちが彼らの管理を受けるのは、マンションを買ったときに決まっていることで、一生変えることはできないのだ」と信じているのである。
ここには、冒頭で述べた、「顧客は自由に業者を選択できる。業者は、選択してもらうために一生懸命価格を下げサービスを向上させる努力をする」という資本主義社会の基本、「市場競争原理」はかけらも無い。
……私がここで書いていることは、全部真実ですよ。ジョージ・ウォーエルの小説ではありませんよ。
■そしてマンション管理会社を替える──泥沼のような闘争
翌年の2006年度、私は自発的に理事長に立候補し、対立候補も無いのでそのまま就任した。
「管理会社を替えるという検討を行おうという議案」は定期総会に提出されておらず、従って何のオーソライズもされていないため、公的には次期管理会社選定は「理事長の業務」として行うことができない。私は通信費,交通費は全部自弁で、もっとまともな管理会社を探し始めた。
ここから先の苦労話も書きたいところだが、本論の主旨には反するので割愛する。
ともかく、泥沼のような労苦の果てに、最後はC・Lという別の管理会社に変更することに成功した。
委託管理費は、マンション全体,かつ年間で137万円も安くなった。
■最後に
D・Sとの戦い、そしてマンション管理組合の皆さんの意識との闘いは、悪夢であったがそこから得るものも多かった。
そして「市場競争原理」という、自明の理であるはずのものが働かない業界もあるということを、知ってもらいたかった。
それが働かない場合、まったく顧客は「家畜化」されてしまうのだ、ということを。
そして、いつでもどこでも、立ち向かって闘う、という気概を忘れて欲しくない、ということを。
ITコーディネ-タ 杉山 雅俊