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ソーシャルメディアがもたらしたマーケティングと経営の変質(2)

前稿「ソーシャルメディアがもたらしたマーケティング(1)」では、主として、ソーシャルメディアがマーケティングをどのように変えたかを取り上げたが、本稿では、経営全般に及ぼした影響について論ずることとする。

まず、共通の前提条件としてはやはり、情報がいつでもどこでも誰からでも入手できる環境が整ったことにより、「すべてを知り尽くされる時代」が来たという背景である。「企業(とその経営者)が素っ裸にされる時代」である。
マーケットの変質について考察するときは、「すべてを知り尽くされた企業」と「消費者」との関係性にフォーカスすればよかったが、経営全般に拡大して考察する場合はこれを、「すべてを知り尽くされた経営者」と「社員および取引先」との関係性というふうに置き換えなければならない。
社員はスマートフォンを手に入れた。そのスマートフォンから常時「フェイスブック」が覗ける。「YouTube(ユーチューブ)」の閲覧も自由だ。企業内ではセキュリティや風紀を理由に会社所有のパソコン利用に制限を設けることはできても、個人の私所有する携帯電話にまで規制はかけられない。それどころかむしろ、「BYOD」(またはBYOT/=Bring Your Own Device / Bring Your Own Technology)という言葉にあらわされるように、従業員が個人で所有するノートPCや携帯電話、タブレットといったデバイス、個人で契約しているネットワーク回線などを業務にも利用することで、自宅やサテライトオフィスなど、いつでもどこからでも仕事ができるようた体制を検討する企業も増えている。そうして情報アクセシビリティが抜群に高まった社員は、自社について、そして経営者について、何から何まで知ることができるようになる。
ソーシャルメディアがなかったころと比べて、現在の情報流通がどのような具合か、卑近な例をいくつか挙げてみよう。「A社はとにかく社員がよく辞めるって評判だ」「視察旅行だと聞いていた社長がやっぱりゴルフ場にいた」「B社の使っている部品はすべて中国製だ」「C店は、たった3日間の研修でアルバイトをもう現場に立たせている。ひどいのではないか?」「D社は月々の手取りはたいしたことないけど、ボーナスだけはいい」‥‥といった、いわば他愛もない情報である。ソーシャルメディアを通じて、他社の同年代の社員が写真や動画を使って流しているのは、他愛もない日常の風景である。しかし、そこから見えてくるものは実は多い。経営幹部の素顔や私生活が垣間見られる。自社の幹部だけではなく他社の日常も伝わってくる。クオリティー・オブ・ライフが見える。ソーシャルメディアがなければ、ここまで丸裸になることはなかった。プライベートな事情まで踏みこまれることなどありえなかった。しかし現代は、経営側から見れば、知ってほしくないことまで筒抜けである。

「ゆとり世代」という総称で呼ばれることの多い昨今の若者は、車に乗らない、ブランドものいらない、スポーツしない、お酒も飲まない、旅行に出るより自宅で過ごす、恋人いらないし結婚もしない‥‥という、昭和の大人たち見れば何を求めて生きているのかわからない価値観を持っている。国の「経済成長」にはまるで関心がないかのようである。この若者たちの価値観は、コトラーの「マーケティング3.0」が描いた時代の価値観と、かなりの部分で符合している。いわく「要するに、精神を見落としてはならない」のである。いま、世界的に起こっている価値のパラダイムシフトは、有り体にいえば「モノからココロ」へということである。企業は、社員とのあいだで長期的な信頼関係を築くため、「社員を支援する」というベクトルを持たなければならない。自社の利益や、短期的なメリットの提供は二の次にして、「社員にとっての最善」を徹底的に追求する姿勢が求められる。社員の利益や満足度を最大化するためなら、一時的に自社の利益に反することでも行うという姿勢、すなわち「アドボカシー経営」とでも名づけるべきコンセプトが、これからの企業に求められるのではないだろうか。

「アドボカシー経営」というコンセプトの重要性が増してくるのは日本にかぎったことではないであろう。リーマンショックに象徴されるように、マネー資本主義は崩壊の一途をたどっている。ギリシャのデフォルトは、まだ現実化するかどうか未知数とはいえ、起こったとしてもそれは単なる引き金にすぎない。北朝鮮の崩壊も大いにありえる。すなわち、お金やモノに対する価値観の大転換が世界的な規模で起こる、と予測できるのである。だからこそ、人間中心の価値観へパラダイム転換が起こる。ITが生産性や効率のために存在した時代は終わり、これからは人と人との心をつなげ、共感を生むための道具となる。そして、お金の意味が薄くなっていくにつれ、哲理(思想、哲学、原則)‥‥が国家の求心力になるだろう。「精神的に豊かな国」が世界のリーダーと目される価値観が優勢になる日が来るのである。日本の企業が取るべき道は、アドボカシー経営、すなわち社員を徹底的に大切にする「人間尊重の経営」の実践である。企業がアドボカシーの道を進めば、日本は再び「魂の国」となって、アジアを引っぱるリーダーとなれるだろう。

by ITコーディネータ:永田ショウ造@まいどフォーラム(2012,02,29)

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