ITコーディネータ 武島 直行(No.00002711)
はじめに
2008年J-SOX法の施行に伴い、昨今では金融業界のみならず、あらゆる業種の上場企業では当該法律に対応する方策や試行を通じて、“内部統制”という亡霊につきまとわれているように見受けられる。
一体、J-SOX法のどこが大変で、何故いまさらながらに“内部統制”なのか?
そもそも、上場するためには、一定の水準以上の財務力やビジネスモデル及び組織管理能力(内部統制も含む)が備わっていることを厳しく審査され、毎期毎に報告するというサイクルで運用されていたように記憶しているのだが...
一方で、上場企業をはじめとする世間では一流と称される大企業の騒動を間近に見ている中小企業においても他山の石的に傍観はしていれない、と考えるのは起業者を中心とした中小企業家の一致した見解と思われる。
今日は、先に触れたJ-SOX法の対処についてではなく、中小企業をはじめとした、一般の企業において、なすべきことを定められたルール通りに行って、その行為が法規範にも触れていないことをチェックしていくサイクル作りをどのように考えて行えば良いか、に関して触れようと思う。
序論
“有るべき姿”とは、“なすべきこと”とは
どこの会社に伺っても大抵は「経営理念」や「経営方針」とか「社是」のようなその企業が企業活動するにあたって理念なり、目標とすることなり、方向性なりを簡単にまとめている。
これを実現するための社員の行動の標として「行動規範」や各種の規則・規程を作成している。最も、社長が行動規範だ、という企業も確かにある。いずれにせよ、何らかの物差しをもって活動を行っていることは確かである。
すなわち、企業の理念の中に“有るべき姿”を見出し、その活動の拠り所・考え方の中に“なすべきこと”を見出すことができそうである。
では、そこに見出す企業の姿が社会にどのように映っているのだろうか?
また、その活動の正当性はどのように確保されるのだろうか?
ここには、企業活動と社会との関連、例えばその企業の設立「意義」・「存在目的」がどのように意識され、どのように実践されているのか、ということが問われているように思う。
以降、企業活動の成り立ちから運営、ビジネスモデルを通じて、その企業の目指すところとITの位置づけといった流れで考察を進めていこうと思う。
本論1
「起業にあたって」
どのような規模の企業でも、初めから存在したわけではない。必ず、起業者がいて、少しずつそのビジネスモデルを確立していき、社会での認知度を上げて、今日の成功を収めている、と考える。
起業に当たって、その考え方は千差万別で、必ずしも社会への貢献や利益をもたらすことを目標としているとは言えない。単に、会社勤めが性に合わないから起業した、あるいは、自分のやりたいことをするために起業した、ということも十分に考えられる。ここに共通することは、いずれも既に確固としたビジネスモデルすなわち利益をあげる仕組みを見出し、その実践において単独あるいは少人数で行う用意がある、ということか。
だが、そのような会社?でもその事業規模が拡張するに及び、規模はともかく、組織を作り、これを運用していく過程を踏むことになろう。大方の起業はこの辺りで転換期を迎えるものと思う。
さて、話を元に戻そう。「起業」するにあたって、経営者は自分の思いを“経営理念”に活動の方向性を“経営方針”等にまとめていく。そうでなくとも、何らかの意思表示を“文字”に表すであろう。この時、社会に貢献する、あるいは、自社が繁栄することで社会に何らかの貢献ができる、などの言葉がキーワードになっているように感ずる。そうなるとその行動規範も反社会的にはならないだろうし、どこの企業も同様な内容になっているものと考える。
そうすると、それに基づいて活動している企業人が何故、反社会的行動を犯さなければならないのだろうか?
それとも、当該反社会的行為をそのように思えなくなってしまっているのだろうか?この点に関しては心理学的な犯罪学的な要素も多く、今回の考察には不向きと考えたく、ここでは割愛したい。
本論2
「ステークホルダー」
今、巷で話題になっている上場企業の悩みの多くは株主をはじめとする利害関係者(ステークホルダー)との関係、特に株主との位置づけが俄に重要視されてきていることと、情報の公開に関する今まで経験したことのない責務への対応の仕方を模索していることにあるように感じられる。
最近の事件の多くは、株主をはじめとして社会に対する情報公開(従来は財務報告が中心であった)における虚偽が中心で、これを企業ぐるみで行っている点である。あるいは、見た目を良くしたいが為に利益操作を行なう、という事件が多発しているようである。
実は中小企業においてもこのことは他人事ではない。むしろ、大企業よりも如実な問題ではないか?
金融機関からの貸し付けを可能とするのは、その企業の財務体質であり、株式を公開していない限り財務報告は不要だが、どのような企業でも納税時には最低限の財務会計資料を提出しなければならず、収益をあげているか否かは明確になる。
先に触れたが、企業の存在意義によってはここで“待った”がかかると言っても過言ではない。
毎年赤字を出し続ければその企業では納税はおろか、社員に給与さえ支払えないこととなり、社会的にはその企業の存在価値は無くなっている。当然に淘汰されていくと思う。
これまでは、利害関係者として外部、例えば株主や出資者ばかりが取りざたされ、内部の利害関係者(社員等)や広い意味での外部、すなわち社会全体といった部分への考慮がなされていなかった場合が多い。
従って、世間にあるいは公的組織への報告すなわち財務報告に心血を注いできたと言っても過言ではなかろう。
ここでは、ありのままの姿を見せることが重要で、誤っても虚偽や隠し事は言語道断であるということは自明の理であるにもかかわらず、何故後を絶たないのであろうか?
利害関係者の枠を本来あるべき姿に捕らえ、その中で誠実に企業活動を行っていくにはどのようにすれば良いのか、これはあらゆる企業家の悩みなのではなかろうか。
本論3
「なすべきこと」
企業は収益をあげることが史上の使命である。
その収益は、企業がさすべきことを当然に行って、有るべき姿に向かっていくことで積み重ねていくことが理想であり、また、そうでなければ存在し得ないと前にも述べた。
では、「なすべきこと」とはどのような事でどのようにすれば見つけられるのであろうか?
大相撲で“強い”力士には共通点がある。それぞれが、このように取り組めば九分九厘勝てる“形”を持っていることだ。別に必殺技ではない。立ち会い・組み方や得手不得手も含めて、この形に持ち込めば勝算が格段に上がる、という形。当然、最初からその“形”に持ち込めば楽に勝てる、ということだ。
企業活動においても同じ事が言えないか?巷で言う、“ビジネスモデル”などはその類ではないかな。
その企業の得意技だけで勝負できれば、ほぼ負けることはないだろうが、相手も取り口は研究してくるし、相手の不得手を突いて勝負してくるだろう。そのためには、将棋のように相手の差し手を予想してそれぞれに対する差し手を考えて、如何に自分に有利な展開に変えていくか、すなわち、自分の得手の世界に引き込んでいけるか、がポイントで、そのための組織活動が「なすべきこと」であり、そのパターンこそが、当該企業の“ビジネスモデル”になっているのではないかと考える。
したがって、“ビジネスモデル”が明確で判りやすい場合にはその遂行に関して、細かいルールや決め事を付加していけばよい。そうでない場合には、まずは自社の収益の構造を分析し、理解して、ここで勝負するための企業活動を探って、“決まった形”を創造する必要がある。それは、無理をすることを強いるのではなく、無理なく進められる内容、すなわち多少の余裕をもって行えることが望ましい。実際には想定通りには進まないもので、そのような場合に無理が効かないと絵に描いた餅に止まってしまうだろう。
私もいろんな企業あるいは個人のビジネスモデルに遭遇してきた。別の機会にこれらを紹介できたらと思う。
まとめ
「自浄作用」
企業の行動原則に関して考察してきたが、人間全てが“善”であることは考えられない。いや、そうであるとしても24時間365日“善”であることには想像もつかない苦痛が伴うのではないか?残念ながら私も弱い人間で、1日の内で“善”で有り続ける時間は数時間としか言えない。“悪”になると言う意味ではないが、よく、“?しておけば、すれば良かった”と後悔する場面では“善”になりきれなかった事に対する反省が占める割合が多いように思う。
どうすれば、この人間の欠陥?を補佐できよう?
人間も千差万別であることを考慮すれば、全ての人間が同じ事、同じ機会に同じ苦痛や悩みを持っているとは考えがたく、須く個人差があって然り。
と言うことは、他人にチェックされたり、見て貰ったりするポイントがあっても良いように思う。
ここに相互チェックの意味合いが生まれるのかな。
人間の弱さの比重でこの相互チェックを何十にも重ねていけばよいのではないか。
これが内部統制に通じる考え方ではないかと思う。
要は“なすべきことを”あたりまえに行うことと、行えるように手順(ルール)を決めること、そして、この仕組みが円滑に動いていることを他人の目でチェックし、是正し、改善していくことが内部統制の考え方といっても良いように考え、私はその仕組み作りを中小企業家と行っていく考えである。
追記: この一連の仕組み作りの中でいかにしてIT技術を活用できるか、ITCとしては悩みの種ではある